境内のご案内
総門
総門そうもん 天正17年(1589)中興後、黒田長政公が筑前国に入り福岡城を造った為、名島城なじまじょうにあったものを移築したと言い伝えられている。 平成17年に屋根瓦...
詳しくはこちら勅使門
勅使門ちょくしもん 切妻造本瓦葺で、正面柱間九尺、垂木を柱真に合わせ疎垂木で、柱間に八枝、外側は破風板共に二枝です。十六弁の菊の御紋章は勅使門としてふさわしい。 通常は...
詳しくはこちら無染池
無染池むせんいけ(放生池) 禅宗寺院の伽藍配置で勅使門と山門の間に放生池ほうじょういけが造られています。通常四角い池が多い中、瓢の形をしていることから「瓢池ひょう...
詳しくはこちら山門
山門さんもん 山門は、江戸時代初期志摩桜井神社しまさくらいじんじゃの観音堂を移築し、楼上には佐田仏師の十八羅漢像じゅうはちらかんぞうがまつられていたが、慶応2年(1866...
詳しくはこちら仏殿
仏 殿ぶつでん 天正17年(1589)耳峯玄熊にほうげんゆう和尚によって中興され、寛文13年に改修された。 正面三間の桟唐戸は外に開く。両端には丸窓があるが、これは黄檗...
詳しくはこちら方丈
方 丈ほうじょう 中興耳峯玄熊和尚が再建し、その後慶長六年(1601)黒田如水くろだじょすい・長政ながまさにより肥前名護屋城の旧館を移築した。黒田如水・長政の修理の棟札が...
詳しくはこちら庫裡
庫裡くり 天正17年(1589)中興の後、120世鶴州かくしゅう禅壽が改築し、明治42年(1909)128世東瀛とうえい老師の時改築を行った。 その後昭和43年(196...
詳しくはこちら禅堂
禅 堂ぜんどう 享和2年(1802)僊厓禅師せんがいぜんじが塔頭継光院の旧構を移築して禅堂を再建した。 前門には「樹下之居」僊厓禅師筆の額が掛けてあり、後門には僊厓禅師...
詳しくはこちら開山堂
開山堂かいさんどう 護聖院の境内の中に開山堂がある。開山堂正面には僊厓せんがい禅師書の「興禅護聖禅院」の扁額が懸かっている。真殿の正面の厨子には開山栄西祖師の座像が安置さ...
詳しくはこちら経蔵
経蔵きょうぞう 天和2年(1682)115世萬水性源和尚が造り、一切蔵経を納めた。 4年後、貞亨3年(1686)116世丹厳義誠和尚が改築をしている。正面には張九成の書...
詳しくはこちら鐘楼
鐘 楼しょうろう 天正17年(1589)110世耳峰玄熊造築の後、宝暦9年(1759)、122世盤谷紹適が改築した。 国指定重要文化財銅鐘(朝鮮鐘)が昭和51年(197...
詳しくはこちら聖福寺境内
聖福寺境内 聖福寺境内は塔中寺院を含め、国指定の史跡に昭和44年11月7日指定されました。 勅使門、放生池(無染池)、山門、仏殿、方丈と禅宗様式の直線に結ぶ建物や、庫裡や禅堂な...
詳しくはこちら鎮守
鎮守 八幡社 八幡社は開基源頼朝公の関わりからである。 白山社 白山妙理社は聖福寺十景の一つに数えられている。古い時代からあったものと考えられます。 元、総門の近...
詳しくはこちら聖福寺仏殿之記
聖福寺仏殿之記 聖福寺第33世の無隠法爾和尚が正平10年(1355)から12年かけて、再建したことを河南(元の時代)の陸仁が選文し、正平23年2月7日に石碑を建てた。いつしか消失...
詳しくはこちら菩提樹
菩提樹 お釈迦様は苦行難行の末菩提樹の樹の元で坐禅を組み、12月8日明けの明星をご覧になられて、 お悟りを開かれた。仏教にとっては大切な樹です。 禅堂の前には僊厓禅師が「菩提...
詳しくはこちら日月庭
日月庭 日月庭は、最初に鹿児島寿蔵氏(1898~1982)の歌碑を造作し、平成28年12月8日に開眼したことに始まります。この歌は、昭和40年歌会始め、お題「鳥」の選者として...
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