歴代の住職
初代 | 明庵栄西 みんなん ようさい | 1141~1215 葉上房、千光祖師 |
第2代 | 道聖 | 建仁寺3世 三諦房、塔頭龍門庵を開創 |
第3代 | 玄珎 | 建仁寺4世 |
第4代 | 永舜 | 不詳 |
第5代 | 退耕行勇 | 1163~1241 正治2年(1200)9月栄西の鎌倉に下向するに随い法を嗣ぐ。 寿福寺2世、建仁寺に住す。 高野山に金剛三昧院の第2世、浄妙寺、東勝寺の開山 仁治2年(1241)7月5日示寂 世寿79歳 |
第6代 | 行心 | 不詳 |
第7代 | 承性 | 不詳 |
第8代 | 了實 | 不詳 |
第9代 | 妙智 | 不詳 |
第10代 | 無象静照 | 1234~1306 相模鎌倉の人、東福寺で円爾に師事 建長4年(1252)19歳で宋へ渡り、徑山の石渓心月に参究し法を嗣ぐ。育王山の知賓となり虚堂知愚に隋う。 文永2年(1265)帰朝、山城平安山佛心寺を開堂 鎌倉に龍華山真際精舎を創建、丹州の寶林寺の開山、相州胡桃谷法源寺に住し、常州の興禅寺開創 建治3年(1277)聖福寺に晋山2年の後、大慶寺に遷った。 正安元年(1299)浄智寺へ 徳治元年(1306)5月15日示寂 世寿73歳 |
第11代 | 虚庵祐圓 | 不詳 |
第12代 | 桃溪徳悟 | 1240~1306 宏覺禅師 鎮西の人、蘭渓道隆の法を嗣ぐ。 後入宋、育王山の頑極行弥に謁し、(1279)無学祖元と共に帰国、無学の建長寺住山の補佐をする。 後、聖福寺、鎌倉の円覚寺に住した。 嘉元4年(1306)12月6日示寂 世寿67歳 |
第13代 | 了翁 | 不詳 |
第14代 | 明窓宗鑑 | 1234~1318 弘安4年武蔵の東漸寺に住し、京都の建仁寺18世となる。 後に聖福寺に住し、塔頭普光庵を創建 文保2年(1318)7月20日示寂 世寿85歳 |
第15代 | 嶮崖巧安 | 1252~1331 佛智圓應禅師 長崎の人、鎌倉の建長寺の大休正念に参究する。 肥前の朝日山安國寺、相模の世尊寺、寿福寺、建長寺、聖福寺、瑞泉寺に住した。 亀谷壽福寺悟本庵に退休、元弘元年(1331)7月23日示寂 世寿80歳 |
第16代 | 鐵庵道生 | 1261~1331 本源禅師 山形の人、鎌倉の建長寺の大休正念の下で参究する。 羽州資福寺、聖福寺、京都の建仁寺、鎌倉の壽福寺に住した。 塔頭瑞應庵創建 弘元元年正月6日示寂 世寿70歳 |
第17代 | 獨照祖輝 | ?~1335 真覺禅師 奥州松島寺、聖福寺、相模の浄妙寺、京都の建仁寺、建長寺に住した 塔頭直指庵を創建、元弘5年3月24日示寂 |
第18代 | 石梁仁恭 | 1266~1334 元国台州(浙江州)の人 正安元年(1299)渡来 信濃の慈雲寺、慈壽寺創建、聖福寺、建仁寺、興雲庵に退居の後、相模の壽福寺住持となる 建武元年(1334)12月18日示寂 世壽69歳 |
第19代 | 東海竺源 | 1270~1344 法光安威禅師 紀伊の誓度寺、鷲峰山興國寺、聖福寺、京都の萬壽寺、建仁寺に住した 洛西の妙光庵に隠棲 塔頭大中菴を創建 康永3年(1344)10月16日示寂 世壽75歳 |
第20代 | 蒙山智明 | 1277~1366 将軍足利尊氏に請われ、暦応元年(1338)聖福寺へ6年間在住、京都の建仁寺、南禅寺に住し、上乗院を開創して隠棲する。 貞治5年(1366)8月20日遷化 世壽90歳 |
第21代 | 無隠元晦 | ?~1358 法雲普濟禅師 豊前の人、延慶年間に入元 天目山の中峰明本に参ず。泰定3年(1326)帰朝 筑紫の顕孝寺に住し、馬出の幻住庵を開創 聖福寺に移った 鎌倉円覚寺、建長寺、京都の建仁寺、南禅寺に住した。 壱州の安国寺、豊前の上之康国寺を開創、晩年豊前に天目寺を開創、その後、筑前福智寺に閑栖した。 塔頭寶浄院を開創、延文3年1月17日示寂 |
第22代 | 秀山元中 | 信濃の人、薬翁徳倹に参ず。 筑前の円覚寺、相模の瑞泉寺、豊後の長興寺、聖福寺に住した。 塔頭継光庵創建 貞和5年(1349)5月7日示寂 世寿67歳 |
第23代 | 月窓元暁 | 圓光禅師 塔頭寶珠院創建 |
第24代 | 石室善玖 | 1294~1389 顕孝寺、聖福寺住し、京都の萬壽寺、天竜寺、鎌倉の円覚寺、建長寺住し、金龍庵に退居。 武州の平林寺を開創 康応元年(1389)9月25日遷化 世寿96歳 |
第25代 | 月堂宗規 | 1286~1362 洛西の龍翔寺 崇福寺8世 石城山妙楽圓満禅寺を開創、姪浜の興徳寺9世、檀林寺を開創 文和2年(1353)聖福寺に9年在住 塔頭龍華院を開創 康安2年(1362)妙楽寺帰り9月27日遷化 世寿77歳 |
第26代 | 明室宗喆 | ?~1379 塔頭瑞光庵開創後、崇福寺14世 康暦元年4月5日示寂 |
第27代 | 天翁 | 不詳 |
第28代 | 南嶺子越 | 1285~1363 東隆寺開創 延文4年(1359)8月 聖福寺に住持、後東隆寺へ隠退 貞治2年(1363)9月11日遷化 世寿79歳 |
第29代 | 月篷圓見 | 1295~1370 康安年中(1361~62)に肥前壽勝寺に住し、聖福寺、京都の建仁寺に住した。 貞治6年越州善応寺に赴き、晩年東山の雲龍庵に退休した。 応安3年(1370)12月2日示寂 世寿76歳 |
第30代 | 秀崖宗胤 | ?~1349 壽福寺、崇福寺(9世)に住し、晩年聖福寺に住した。 貞和5年(1349)8月10日示寂 |
第31代 | 大綱全擧 | ?~1367 佛眼禅師 崇福寺に住し、後聖福寺に住した。 正平22年(1367)2月17日示寂 |
第32代 | 頑石曇生 | ?~1376 聖福寺から、建仁寺に住し、永源寺に陞座、晩年東山定慧院退休 永和2年7月27日示寂 |
第33代 | 無隠法爾 | 塔頭東漸庵開創 |
第34代 | 玉田元英 | 塔頭祥壽庵開創 |
第35代 | 南堂元周 | 塔頭羪正庵開創 |
第36代 | 定翁以禪 | 崇福寺21世 |
第37代 | 象外宗越 | 崇福寺18世 妙楽寺に住した。 |
第38代 | 起宗宗冑 | 不詳 |
第39代 | 夢菴顯一 | 康安元年(1361)順心庵開創 |
第40代 | 天祥一麟 | 1329~1407 薩摩の大願寺に住し、三年後に聖福寺に住した。 康応元年(1389)京都の萬壽寺に住し、建仁寺67世、天竜寺32世、応永8年(1401)7月に南禅寺(57世)となった。 応永14年12月2日示寂 世寿79歳 |
第41代 | 五峰師頊 | 京都の三聖寺住し、後聖福寺に住した。 |
第42代 | 摂津の廣厳寺、浄妙寺、聖福寺に住し、晩年摂州の棲賢寺に住した。 | |
第43代 | 玉岡如金 | 1332~1402 弘祥寺の開山、聖福寺、建仁寺61世 天龍寺28世、南禅寺に住した。 応永9年8月26日示寂 世寿71歳 |
第44代 | 梵西清瞿 | 不詳 |
第45代 | 寰中長齢 | ?~1398 備前の成道寺に住し、聖福寺に住し、塔頭大聖庵開創 東福寺57世住職 応永5年10月13日示寂 |
第46代 | 日東祖旭 | ?~1413 聖福寺の住職、東福寺、南禅寺に住した。 応永20年4月5日示寂 |
第47代 | 梅隠居芳 | 不詳 |
第48代 | 大疑性信 | 不詳 |
第49代 | 洪山宗範 | 1318~1396 浄智寺に住持、筑前崇福寺32世 その後聖福寺に入る 塔頭光福院、天得庵開創 天得庵に退休 応永3年9月16日示寂 世寿79歳 |
第50代 | 日峯法朝 | 建長寺89世 |
第51代 | 無價掌珎 | 不詳 |
第52代 | 可菴崇悦 | 不詳 |
第53代 | 龍章清扆 | 不詳 |
第54代 | 在室普現 | 不詳 |
第55代 | 清隠慶一 | 崇福寺37世 |
第56代 | 積翠至柏 | 不詳 |
第57代 | 無方宗應 | ?~1407 筑後顕孝寺、横嶽宗福寺に住した。 永徳3年(1383)秀善寺を開創 応永14年2月5日示寂 |
第58代 | 雲叟霊瑞 | 不詳 |
第59代 | 笑岩顯悦 | 不詳 |
第60代 | 建中聖幢 | 不詳 |
第61代 | 大崗祖運 | 不詳 |
第62代 | 大千聖及 | 不詳 |
第63代 | 祥巖宗禎 | 不詳 |
第64代 | 真牧祖蘊 | 不詳 |
第65代 | 恕叟興忠 | 不詳 |
第66代 | 季明禅燈 | 不詳 |
第67代 | 太慶豊幸 | 不詳 |
第68代 | 松隠長逸 | 不詳 |
第69代 | 中瑩豊璵 | 不詳 |
第70代 | 不詳 | |
第71代 | 平叟良曻 | 不詳 |
第72代 | 大成頴集 | 善應寺、聖福寺、真如寺、建仁寺に住持。8月21日遷化 |
第73代 | 等古建淳 | 塔頭寶光院開創、その他不詳 |
第74代 | 無文梵章 | 不詳 |
第75代 | 龍江元度 | 不詳 |
第76代 | 雲溪禅龍 | 不詳 |
第77代 | 潤花思澤 | 不詳 |
第78代 | 春浦周潮 | 不詳 |
第79代 | 春江廣昕 | 不詳 |
第80代 | 不詳 | |
第81代 | 龍江全澤 | 塔頭東来庵開創、その他不詳 |
第82代 | 春溪昌温 | 不詳 |
第83代 | 栄宗瑞英 | 不詳 |
第84代 | 大通禅徹 | 不詳 |
第85代 | 謙翁思益 | 不詳 |
第86代 | 梅僊宗林 | ?~1468 崇福寺64世、応仁2年(1468)11月10日示寂 |
第87代 | 用中周本 | 不詳 |
第88代 | 固巖全鞏 | 塔頭一枝庵開創、その他不詳 |
第89代 | 玄室稚籌 | 不詳 |
第90代 | 東伯希元 | 不詳 |
第91代 | 悟溪曇省 | 不詳 |
第92代 | 同古宗徹 | 不詳 |
第93代 | 龍室道渕 | 不詳 |
第94代 | 伊峰周猊 | 不詳 |
第95代 | 清遠奇穆 | 不詳 |
第96代 | 心應宗甘 | 不詳 |
第97代 | 元仲全亨 | 不詳 |
第98代 | 英仲元俊 | ?~1416 応永23年2月26日示寂 |
第99代 | 錦江栄文 | 不詳 |
第100代 | 無涯亮倪 | ?~1449 文安6年6月2日示寂 |
第101代 | 華海慈巖 | 不詳 |
第102代 | 文明曽修 | ?~1488 長享2年(1488)1月12日 示寂 あとは不詳 |
第103代 | 白巖聖業 | 塔頭龍蟠庵を開創 あとは不詳 |
第104代 | 先天慶壽 | 不詳 |
第105代 | 1481~1564 永正16年(1519)12月 住職 天文8年(1539) 塔頭新篁院 退休 永禄7年(1564)示寂 世寿84歳 |
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第106代 | 陽伯宗収 | ?~1567 永禄10年10月3日 示寂 |
第107代 | 維新元命 | 不詳 |
第108代 | 雲甫京怡 | 不詳 |
第109代 | 景轍玄蘇 | 1537~1611 天正5年(1577) 入寺 慶長16年(1611)10月22日示寂 世寿75歳 |
第110代 | 耳峰玄熊 | ?~1599 永禄6年 (1563)兵火に見舞われ消失 永禄11年 (1568) 5月住職 元亀 元年 (1570) 再興 天正 2年 (1574) 堂宇伽藍ことごとく消失 天正14年 (1886) 乱にて消失 天正15年 (1887) 小早川隆景、筑前に封じられる 再興に着手 太閤町割 天正17年 (1589) 仏殿の再建、方丈再建(名護屋から移築) 慶長4年 (1599) 9月16日示寂 慶長 6年 (1601) 3月 黒田如水、長政により方丈の大修理 慶長8年3月1日 松壽君亡、九皐宗疇導師、住職問題 |
第111代 | 九皐宗疇 | ?~1619 元和3年(1617) 5月16日 妙心寺に視篆 元和3年 虚白院に退栖 注:虚白院は嶋井宗室が再興 元和5年5月8日遷化 |
第112代 | 一燈宗多 | ?~1646 元和3年(1617) 住職 元和7年(1621)10月3日 妙心寺に瑞世 正保2年(1645) 退く 正保3年(1646)正月23日示寂 |
第113代 | 高嶺玄柏 | ?~1657 正保2年(1645) 住職 明暦3年(1657) 示寂 跡継ぎの物源休公座元が先に亡くなった由、5年間塔頭が輪番 |
第114代 | 唯堂玄識 | 1605~1690 正保4年(1647)10月28日 妙心寺に瑞世 寛文元年(1661) 住職 寛文8年(1669) 円覚寺に退休 元禄3年(1690)7月29日示寂 世寿86歳 |
第115代 | 萬水性源 | ?~1695 寛文8年(1669) 住職 諸堂の修造 仏殿の大修理、輪蔵設置、書院創建、 志摩郡の観音堂を移築し山門とする 泰清寺(丹州)を中興 天和元年(1681) 法喜庵に退休 元禄8年(1695)8月2日示寂 |
第116代 | 丹巖義誠 | 1644~1710 天和元年(1681) 住職 元禄12年(1699)6月1日 妙心寺に視篆 宝永7年(1710)9月14日示寂 世寿67歳 |
第117代 | 1678~1739 宝永7 年(1710) 住職 享保2年(1717) 虚白院退休 元文4年(1739)8月22日示寂 62歳 |
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第118代 | 圓珪祖應 | 1682~1762 享保2年(1717) 住職 享保17年(1732)退休 禅居庵、光国寺、泰清寺(丹州)等で19年間隠栖 |
第119代 | 實巖素快 | 1696~1742 享保17年(1732) 住職 寛保2年(1742)8月21日示寂 世寿47歳 |
第120代 | 鶴州禅壽 | 1712~1750 寛保2年(1742)11月9日 住職 寛延3年(1750)2月16日示寂 世寿39歳 |
第121代 | 圓珪祖應 | 1682~1762 寛延3年(1750) 再住職 宝暦5年(1755) 廣福庵に閑居 宝暦12年(1762)4月11日示寂 世寿81歳 |
第122代 | 盤谷紹適 | 1714~1792 宝暦5年(1755)6月13日 住職 宝暦6年11月1日 妙心寺転位 天明9年(1789) 禅居庵に閑休 寛政4年(1792)7月6日遷化 世寿79歳 |
第123代 | 僊厓義梵 せんがい ぎぼん | 1750~1837 寛政元年(1789) 住職 寛政2年(1790) 妙心寺転位 寛政10年(1798) 開基源頼朝公600年遠諱 享和2年(1802) 禅堂再興、松壽君200年遠諱、大通院殿雲澤宗龍禅定門 文化元(1804)年唐門普請 文化8年(1811) 仙厓堂隠栖 文化9年(1812)元旦 虚白院へ居を移す 文政7年7月14日 幻住庵を三年間仮住 |
第124代 | 湛元等夷 | ?~1855 文化8年(1811) 住職 天保7年(1836) 退任の命 天保8年(1837) 大島へ流罪 17年間 安政2年8月29日 示寂 |
第125代 | 仙厓義梵 | 天保7年(1836) 再住 天保8年10月7日遷化 世寿87歳 天保9年29日 方丈の屋根崩落 看坊 廉道 |
第126代 | 龍巖禅初 | 1807~1848 天保9年12月15日 住職 天保12年正月 妙心寺転位 弘化2年(1845) 方丈着工 弘化4年(1847) 方丈落成 嘉永元年(1848)8月21日示寂 世寿42歳 この間(7年)看坊徳門寺の廉溪元貞 |
第127代 | 愚溪自哲 | 1819~1885 安政2年(1855) 住職 慶應2年(1866)1月8日 山門消失 明治10年7月8日 妙心寺に視篆 明治18年9月8日遷化 世寿66歳 |
第128代 | 東瀛自関 | 1848~1921 明治6年4月10日 住職 明治14年2月 再行脚 明治16年秋 帰山 明治19年 禅堂再開単 僊厓50年忌、愚溪1周忌 明治42年3月1日 妙心寺に視篆、庫裏、書院改築 明治44年 山門の復興 大正元年(1912) 開山700年遠諱 大正10年8月6日遷化 世寿74歳 妙心寺より歴住追贈 萬寿寺足利紫山兼務住職 |
第129代 | 謙道承迪 | 1874~1942 明治31年7月 天福寺住職 明治36年8月 荘厳寺住職 明治42年11月 大光明寺住職 大正10年9月 相国寺副住職 大正11年11月1日 晋山式 大正12年3月 住職 昭和14年12月15日 閑栖 昭和17年(1942)1月1日遷化 世寿69歳 |
第130代 | 戒應自禅 | 1902~1966 昭和6年10月 常楽寺住職 昭和14年12月15日 入寺、4月28日 晋山式 昭和18年12月18日 花その保育園(覇臺保育園)発足 昭和20年 聖福病院、聖福寮、聖福市場 昭和23年2月22日 謙道和尚7回忌、開基源頼朝公750年忌遠諱 中興耳峰和尚350年忌遠諱、 開基源頼朝公750年忌遠諱 昭和29年5月15日 県指定史跡 昭和30年10月 開山750年忌遠諱、東瀛和尚33年忌、謙道13年忌 昭和41年4月16日示寂 |
第131代 | 博道自淳 | 1922~1969 昭和25年5月1日 塔頭瑞応庵住職 昭和40年2月18日 副住職 昭和41年4月22日 住職 昭和44年8月24日 示寂 昭和44年11月7日 国指定の史跡 この間平林寺白水敬山兼務住職 |
第132代 | 善来宗永 | 1926~2017 昭和48年8月25日 入寺 昭和50年4月6日 晋山式 平成7年(1995) 開創800年遠諱 平成9年7月31日 退山 |
第133代 | 白峰宗慧 | 1947~ 平成 2年(1990) 玉川寺住職 平成 9年10月24日 入寺 平成10年11月6日 晋山式 平成15年より、平成26年の開山800年遠諱の為、諸堂整備にかかる 平成15年 鐘楼 瓦葺替 平成16年 開山堂改修 三世仏(弥陀仏)造立着手(18年仮開眼) 平成18年 山門 瓦葺替 平成19年 三世仏(弥勒仏)造立着手(21年仮開眼) 平成22年 仏殿増改築着手 平成24年9月 8日 三世仏開眼法要、仏殿落慶法要 平成25年 聖福寺展(4月20日~6月16日) 平成25年9月 寂光堂上棟 平成26年1月 興禅護国の碑建立 平成26年4月20日 栄西禅師800年遠諱慶讃四頭茶会 平成26年7月17日 栄西禅師800年遠諱報恩大授戒会 平成26年9月 4日 千光祖師栄西禅師800年遠諱 宿忌 平成26年9月 5日 千光祖師栄西禅師800年遠諱 半斎 平成28年12月 鹿児島寿蔵氏歌碑建立 平成30年3月 倉庫改修 令和2年4月8日 日月庭完成 茶筅観音開眼 |