栄西禅師(ようさい ぜんじ) 年表
年齢 | 西暦 | 和暦 | |
1 | 1141 | 保延7年 | 4月20日吉備津神社の社家の子として生まれる |
14 | 1154 | 仁平4年 | 千寿丸 得度受戒して「栄西」の名を戴く 安養寺(現臨済宗建仁寺派) 天台宗寺門派 靜心に付き修行 寺伝によれば栄西自作の栄西像がある |
1156 | 保元元年 | 保元の乱 | |
17 | 1157 | 保元2年 | 千明の指導を受ける 靜心の遺言 |
18 | 1158 | 保元3年 | 千明より虚空蔵求聞持法を受ける |
19 | 1159 | 保元4年 | 叡山の有弁 竹林院で天台教学を学ぶ |
平治元年 | 平治の乱 池禅尼(平頼盛の実母) 頼朝の命を助ける | ||
22 | 1162 | 応保2年 | 全国に疫病 父母を故郷に訪ねる |
23 | 1163 | 応保3年 | 安養寺 千明 金山寺 日応寺 三摩耶の行(穀物を断つ21日間) |
26 | 1166 | 仁安元年 | 頼盛 鎮西の太宰府 頼盛、太宰の弐になる 平頼盛(清盛の異母弟) 太宰権小弐に宇佐神宮の神官、宇佐大宮司をあて、香椎宮の領家となり、西海一帯の支配を強める |
27 | 1167 | 仁安2年 | 第55代天台座主 明雲に 伯耆 大山寺天台密教阿闍梨・基好上人に付き、蜜乗の肆をうけ、穴太流の蘊奥を究める 叡山 横川 南楽房・顕意阿闍梨に密潅をうける 第55代天台座主明雲に会い、頼盛にも会う 備中 安養寺千明和尚を訪ね、師匠静心の墓参をする 師走3日 父母の元を辞して、宇佐神宮に参る |
28 | 1168 | 仁安3年 | 平清盛 出家 阿蘇山、安楽寺(現太宰府天満宮)、宝満山、箱崎宮、香椎宮、住吉宮に参拝 4月3日 博多(袖湊) 出港 4月24日 甬江(ようこう)溯ること約20キロ明州(,寧波)の港に着く 重源(48歳俊乗房)と出会う 栄西の「入唐縁起」によれば「相視互流涙」と記している 5月19日 明州の四明(浙東地区)から(丹丘)天台山に重源と行く 横護庵(おうごあん)から入山 万年寺の山門 白鶴鎮を越えて、石橋(七星橋の一つ)を渡る 5月24日 万年寺に到着 5月25日 天台の石橋 餅峰(蒸餅峰) 五百羅漢に茶を供える 国清寺を尋ねる 国清寺は598年隋開皇18年天台宗として開創 建炎4年(1130)「易教為禅」の詔により禅宗となる 新章疏をもとめる 6月10日 体調崩し丁子を煎じ戴く 後に「喫茶養生記」の体験談となる 6月上旬 阿育王寺の仏舎利塔参拝「舎利法光」開山は慧達 廬山に上り、東林寺を参拝 9月 重源と帰国 怡土の今津 比叡山座主明雲に中国国清寺で求めた天台の新章疏30余部60巻を献上 明雲より「明」の字を戴く 東谷・葉上房 天台密教 葉上流を開き、開祖となる |
29 | 1169 | 仁安4年 | 備前御野郡 遍照院(金山寺)を法相宗から天台宗に改める 備中後月郡 清和寺を安井寺に改称 (明治15年復称) 備前津高郡 日応寺 |
34 | 1174 | 承安4年 | 鎮西(九州)へ |
35 | 1175 | 安元元年 | 10月23日 誓願寺 落慶法要「誓願寺創建縁起」 仲原氏太良の願楽 僧・寛智が建立 誓願寺盂蘭盆一品経縁起、胎口決、出纏大綱、菩提心別記、菩提心論口決等を著す |
40 | 1180 | 治承4年暮 | 東大寺火災 平重衡(清盛の子) |
41 | 1181 | 治承5年 | 2月4日 清盛 滅 養和元年 東大寺造営大勧進 重源61歳 |
44 | 1184 | 元暦元年 | 大仏修復 宋の鋳物師・陳和卿 |
45 | 1185 | 文治元年 | 平頼盛出家、得度 戒師 栄西 5月29日 東大寺大仏開眼供養 文治寺 筑前香椎庄 天台宗の寺院 開山栄西 開基平頼盛 神泉苑祈雨 後鳥羽天皇(6歳)より「葉上」号、紫衣を賜る 阿蘇山に和修吉竜王、狗留孫山に健盤竜王・婆寫竭竜王 筑前今津に八大竜王 唐泊東林寺に青体竜王を祀る |
46 | 1186 | 文治2年 | 7月「金剛頂宗菩提心諭口決」 天竺行きを決意 |
47 | 1187 | 文治3年 | 4月19日 今津より出航 4月25日 臨安に着く 銭塘江 六和塔(六角十三層) 天竺行きは許可されなかったので、帰国の途に着く 暴風に遭い浙江省南東 瑞安に漂着 もう一度天台山に行く事する 万年寺を訪れ、虚庵懐敞に出会う |
48 | 1188 | 文治4年 | 吉祥旦三蔵法師の墓前の偈 万年寺の山門・回廊の修復、放生池(栄西池)造成 智者塔院(真覚寺)大慈寺(修禅寺) 疫病退散の祈祷、雨祈祷により南宋の孝宗より「千光」の号を賜る 海外精藍得得来
青山迎我笑顔開 三生未朽梅花骨 石上尋思掃緑苔 唐土(もろこし)の梢もさびし 日の本の ははその紅葉 散りやしぬらむ (続古今集) |
49 | 1189 | 文治5年 | 9月15日 虚庵より大乗菩薩戒(心地無相戒)を授受される 菩提樹を日本へ送る 「出家大綱」を著す 暮 天童寺(太白山天童景徳寺)に虚庵に就いて移る |
51 | 1191 | 建久2年 | 7月 虚庵懐敞に嗣法 印可状授与 帰国 平戸島北部 古江湾の葦ノ浦に着く 戸部侍郎清貫が出迎える 8月8日 法筵を富春庵(後の千光寺)で開く |
52 | 1192 | 建久3年 | 報恩寺で初めて菩薩大戒にて布薩会(授戒会)を行う。 |
53 | 1193 | 建久4年 | 筑後に千光寺を開く 草野永平より七堂伽藍(塔中七ヶ寺)、田12町歩の寄進を 紹煕4年(中国) 周防の材木を送り、天童寺に千仏閣を建立 石碑「太白名山千仏閣記」あり 背振山霊仙寺石上坊(いわがみぼう)に茶を植える 栂ノ尾の明恵上人に茶の種を送る 宇治にも茶を植える |
55 | 1195 | 建久6年 | 3月12日 東大寺 大仏殿落慶 菩提樹を東大寺、鯖木の跡に植える 博多 聖福寺を日本最初の禅宗寺院として創建する 栄西言上書 |
57 | 1197 | 建久8年 | 張国安と面談 |
58 | 1198 | 建久9年 | 「興禅護国論」を著す 「未来記」 |
59 | 1199 | 正治元年 | 栄西禅師 鎌倉に入る 二代頼家に会見する 釈円房栄朝が参じる 葉上流の密 |
60 | 1200 | 正治2年 | 1月13日 法華堂にて頼朝一周忌の導師を行う 2月 亀谷の源頼朝の旧跡を寿福寺とする 7月 北条政子、寿福寺に16羅漢像を置き、開眼供養の導師は栄西禅師に 行勇 寿福寺に栄西禅師を尋ねる |
62 | 1202 | 建仁2年 | 2月 沼浜の旧跡を移し、寿福寺の殿堂にする 6月22日 建仁寺を創建 二代頼家 真言、止観、禅門の三宗 |
64 | 1204 | 建仁4年 | 建仁寺に菩提樹を植える 「斎戒勧進文」・「日本仏法中興願文」を著す |
66 | 1206 | 元久3年 | 重源(東大寺)、栄西より菩薩戒を受ける 建永元年6月5日 重源 寂 南大門(国宝、重源の時) 9月18日東大寺 大勧進になる 鐘楼(国宝、栄西の時) |
67 | 1207 | 建永2年 | この頃、明恵上人 参ずる |
71 | 1211 | 承元5年 | 正月「喫茶養生記」を著す |
74 | 1214 | 建保2年 | 2月 三代実朝に「茶」と「喫茶養生記」を献ず |
75 | 1215 | 建保3年 | 7月5日 建仁寺で遷化 |