山門
山門は、江戸時代初期志摩桜井神社の観音堂を移築し、楼上には佐田仏師の十八羅漢像がまつられていたが、慶応2年(1866)に焼失した。この時、「扶桑最初禅窟」の勅額は幸いに落下して焼失を逃れた。明治44年(1911)128代東瀛老師の時に再建された。
上層中央部の天井には博多生まれの日本画家冨田渓仙作の龍の天井絵、中央正面には高田又四郎作の千手観音立像・2体羅漢像、山崎朝雲作の16羅漢像が安置されている。高田又四郎は羅漢像の2体造ったところで亡くなってしまい、その後を博多生まれの山崎朝雲が引き継いだ。
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