王 藤内 小早川隆景
王 藤内 供養塔(左)
栄西禅師の俗弟と言われている。蘇我兄弟仇討のとばっちりを受けて建久4年(1193)5月、命を落としたと伝えられている以外は殆ど不明です。
小早川隆景 供養塔(右)
元文2年(1533)生月日不詳、慶長5年(1597)6月12日没。隆景は毛利元就の三男、12歳の時に小早川家の養子となる。「三本の矢」の話は有名な語り草です。九州征伐で九州を平定した功績に対して筑前一国を与えられ、博多津名島に築城した。太閤町割りにより聖福寺寺領を四分の一に減らされましたが、聖福寺の復興に尽力しています。朝鮮鐘(国指定重要文化財)も、その時奉納されたものです。この鐘はもともと大内家が千年前に朝鮮(高麗)から手に入れたもので、大内家の寺院にあったものです。供養塔は聖福寺墓地にあります。法名「黄梅院殿泰雲紹閑大居士」
下記は聖福寺院誌「26号」からの抜粋です。