廣田弘毅

明治11年(1878)2月14日生、昭和23年(1948)12月23日没、幼名を丈太郎といい法名は「弘徳院殿悟道正徹大居士」福岡での旧跡を紹介します。天神3ー16-10に「廣田弘毅先生生誕之地」の石碑が建っています。出光興産(株)創業者、出光佐三氏が揮毫しています。水鏡天満宮の南側の鳥居の「天満宮」の石額の書は11歳の時の書であります。 「丈太郎」から「弘毅」に改名したのは旧制修猷館中学卒業直前に第128代東瀛老師に相談し「論語」巻四、泰伯第八にある「士不可以不弘毅」から採ったそうです。市美術館の入り口に和服姿の銅像の台の裏に「浩々丹心輝萬古」と辞世の句が刻まれています。

廣田弘毅の墓所

廣田弘毅の墓所

下記は、聖福寺院誌「30号」からの抜粋です。