平岡浩太郎

嘉永4年(1851)6月23日生、明治39年(1906)10月24日没。法名「恵海院正專浩徳居士」、明治11年自由民権運動に参加し進藤喜平太と共に向陽社を組織し、明治14年(1881)玄洋社と改名し、初代社長に就任した。福岡の炭鉱王とも呼ばれ、その財力は玄洋社の活動に止まらず、郷土の後輩の学費の援助や孫文など支援していたようです。

詳しくは、聖福寺院誌「29号」をご覧ください。

平岡浩太郎の墓所

平岡浩太郎の墓所